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18年後の出会い

 今から32年前の昭和59年第39回国民体育大会が、奈良県で開催された。その時、北海道女子なぎなたチームがわが家に民泊した。(一般家庭に選手が宿泊すること)
 20歳前後の4人で、試合に負けた後も家に泊まり、奈良観光していた。その時にかわした会話を今も覚えている。

 つれあいが「私達に女の子ができたら、なぎなたをさせます。皆さんと国体で競いあえたらいいですね」と言うと「楽しみにしています」と笑顔で答えてくれた。しかし、私は医師から妊娠の可能性は低いと告げられていた事もあり、とうてい実現しないだろうと思っていた。
 それから18年後、平成14年第57回高知県国体に娘は初出場した。彼女と二人で、選手控え室に北海道チームを訪ねた日を忘れない。

「ほんとうにこんな日がきたのですね」と喜んでくれた。18年前、冗談と願望が入り交じった会話が、現実になった瞬間だった。

 

 娘が、国体出場を目標にした出来事がある。
 8歳で全日本少年少女なぎなた大会に出場した時、知らない人が会いに来たというのだ。

「奈良の西森さんの娘さん?」と話しかけ、「ご両親がこんな事を話していた」と教えてくれたそうだ。当時選手だった人が監督になり、選手名簿を見て、まさかと思いつつ声をかけたとの事だった。この出会いで『国体選手になりたい』と思ったと、数年後に言っていた。        
 今年30歳になる娘は、監督として少年少女なぎなた大会に参加した。かっての自分のような子供を見て、何を思ったのだろう。
 まさか、実現するとは思わなかった32年前の会話が、競技を始めるきっかけになったが、一方親の思いが負担だったかもしれないと、私の心はいつも痛んでいた。
 しかし、3歳から始めた競技を通して、様々な経験と出会い、流した汗と涙は今の彼女に影響している事は確かだ。
 3年前の結婚式に、国体出場時の監督4人が、お祝いのなぎなた演技を披露してくださった時、娘は涙を流していた。
 なぎなたの技の激しさ、美しさとともに「礼に始まり礼に終わる」という武道の精神や、仲間と一緒に練習に明け暮れた日々。
 そこから学んだ事は、計り知れないだろう。
 それは、私達親にとっても同じだ。
 悲しいこと、嬉しかった事、絶望と希望、周りのたくさんの人に支えられた事……。
 そんな事を、ゆっくりと娘と話してみたくなった。

-fin-

(なぎなた — 日本における武道。競技者男女で試合と演技の2つがある。長い柄に長い刃。柄は6尺~9尺。技は多彩)

2016.08.29

『嘘のようなほんとの話』をテーマに書いたエッセイです。

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