提灯の行く末
『まるに抱き茗荷』
これは、私が36年前嫁いだ婚家の家紋だ。
嫁した家は、私達夫婦の3代前には、跡取りの子どもがなく隣町から幼子を養子に迎えてまで、代々続いてきた家を守ってきたのだと、姑(はは)から聞かされたことがある。
家は、建て替えや引っ越しを何度かしたが、その都度大事に持ってきたのが家紋入りの提灯だ。
竹ひごを輪にして組み、和紙を貼った70センチ程の吊り提灯。長い年月の間に和紙は茶褐色になっている。
祭りの時以外は、暗くひんやりとした厨子の奥の棚にある木箱に入れ納めてある。
この提灯は、何代もの家族の誕生や死の繰り返しと共に、その人達の悲しみ、苦しみ、喜び等、脈々と続いてきた日々を、厨子の奥で見ていたのだろうか。
今から70年以上も前、姑が嫁いで来たのは太平洋戦争(1941〜1945)の時だった。
姑は、夫も義弟も戦地に行った後を、残った長患いの父親と3人の義妹を守っていたが、跡取りだった夫が戦死したため、実家に戻っていた。
しかし、親戚の人達に「家を絶やす事はできない」と説得され、夫のいないこの家に帰ったのだ。
その後、復員してきた5歳年下の義弟と再婚し、私のつれあいが生まれた。
家に縛られ自分の意思など持てなかった女の、姑の人生。そんな日々にも、提灯は厨子にあった。
私が結婚した時、姑に「子を産み家を盛り上げて」と言われたが、なかなか子どもが授からなかった。「昔なら子を産めない嫁は帰されたもんや」と冷たく突き放すように言われたが、ようやく10 年目に出来た。
その娘は27歳になり来春嫁ぐ。姓が変わり、彼女もまた婚家の歴史を作っていく。
「一人娘だからといって、家を継がなくてもよい。自分の人生だから、好きなように生きたらいい」と折にふれて娘に話していたつれあいだ。
私は「本家の跡取りなのに、あんな事言っていいの?」と聞いた事がある。
「家より人の方が大事や、家が絶えてしまってもあの娘(こ)が生きていてくれるだけで充分や」
そう言うつれあいも姑のように、『家を継ぎ守る』という呪縛に苦しんだのかもしれない。
自分の人生を、自分の思うように生きる事ができる、そんなあたりまえの事がどんなに難しいことか、いつか娘も気づいてくれたら、と思う。
そして、一度しかない人生を大切にしてほしいと願っている。
久しぶりに今年の祭りには、提灯を出そうかとふと思った。しかし、「やっぱり止めよう」と思い直した。灯りのついた『まるに抱き茗荷』の提灯を見るのが、何だか怖いような気がした。
私達夫婦は、娘の負担にならないよう、今の家を処分し、新たな終の住み家を考えはじめている。
その時、この提灯の行く末はどうなるのだろう。
-fin-
2013.10
『ずっと変わらずにあるもの』をテーマに書いたエッセイです。