夕日と ほほえみ仏
部屋には、僧侶の経を読む声だけが聞こえていた。73歳で亡くなった祖母の3回忌の法要の日だ。
両親が働きに出ていたし、夫婦仲が悪るかったこともあり、京子は殆ど祖母に育てられた。
30歳になった今も、祖母がしわだらけの手で、幼かった京子の手を、撫でてくれたぬくもりを覚えている。
祖母は信心深い人だった。素焼きの素朴な掌に入る土仏を大切にしていた。いつもその仏を両手で包みながら、こう言ったものだ。「京ちゃん、この仏さんは(ほほ笑み仏)と言うんや、見てみ、笑ってはるやろ」
それは、なだらかな山のような眉の下に、三日月の形の目と、僅かに口角が上がった口もとで、微笑んでいるようだった。そういえばあの仏さんは、どこへいったのだろう。亡くなった時、仏壇にあったはずだ……。
今、京子は、恋も仕事も家庭も八方塞がりだった。上司との恋は出口が見えず、仕事のミスが続き、親からの過剰な干渉を受けていた。一人暮らしに幸せを感じられず、希望もなく将来の不安がいっぱいだった。
そんなある日、徹夜明けでマンションに帰ると、高熱がでた。疲れがでたのだろう、解熱剤を飲み火照った身体を折り曲げ、ベッドで丸くなっていた。
ここはどこだろう、外国のようだ。
汗と埃にまみれ、痩せた出家者らしい僧が、樹の下で座禅を組み瞑想している。
「あったよお祖母ちゃん、仏さんあんな所に」と指さしたのは、瞑想している僧の横だった。
それから、僧はほほ笑み仏を手に持ち、山を下り河を渡り旅を続けた。インドから、スリランカに渡り、陸路海路を経て中国、朝鮮半島、日本へ、さらにミャンマー、タイの東南アジアへとほほ笑み仏は僧と一緒に旅をした。その旅は、アメリカ、ヨーロッパへと続いた。
僧は先々で、貧しく、苦しむ人々の話を聞き、慰め力づけた。そしてそこにはいつも、ほほ笑み仏があった。
「あの仏さん、どこまで行くのやろ」と言う自分の声で、目が覚めた。
明るかった窓の外が、薄暗くなっていた。
どれくらい眠っていたのだろう。もう熱は下がっていた。
京子は窓の外を見た。大きな丸い夕陽が、まるでオレンジ色の絵の具がパレットから流れたように、あたりを染めながら静かに沈んでいく。一日の勤めを終えたかのように、ゆっくりゆっくりと……。希望がないと思っていた暮らしのなかに、こんなに美しい景色があるなんて知らなかった。いや、知ろうとしなかったのだと、京子は思った。
見ようとすれば、日々の生活の中に、幸せはいっぱいあるのだと思った。
明日はお祖母ちゃんの家に行こう。そして、ほほ笑み仏を捜そうと思った。
-fin-
2013.09.15
『世界を渡る者』をテーマに書いたフィクションです。