ウエルカム、コンサート
人混みを抜け、重い扉を押してコンサート会場に入る。早いせいか人はまばらだ。
自分の席まで、一段一段階段を降りていく。
降りる度、『私の日常』が一枚一枚剥がれていき、遠ざかって行く。
そして、席についた時、私はホールの空間の一部になっている。
私は音楽を聴くのが好きだ。ポップス、ジャズ、クラシック等様々なジャンルの音楽を聴く。立派なコンサート会場、野外ステージ、パイプ椅子を並べたライブハウスでもいい。
広くても狭くても、要は日常から切り離された空間と時間の中に身を置く事がいいのだ。
会場はだんだん人が増えてきて、ザワザワとしてきた。
ブザーが鳴る。開演5分前だ。
赤いビロードの幕の裾模様が上がっていく。
幕が開いた。チェロとヴァイオリンのコンサートだ。ベートウベン作曲、ヴァイオリンソナタ第5番「春」の演奏が始まった。
ピーンと張り詰めた、空気の静寂を破るように、チェロの低い音がした。その音色はステージの床を這うように流れてきて、私の耳に入ってくるような気がした。
そして、私の心にいっぱい広がった時、嫁の愚痴を言う88歳の母の声も、日常の雑事のあれこれもスーと消えた。
コンサートに行くと、音色が真っ直ぐ私に届く時もあれば、天井や壁を伝い旋回して届いたと感じる時もある。少しずつ音色に包みこまれていく感覚が好きなのだ。
私は音の空間にただよいながら演奏者の手の動きや、指揮者のタクトを見る。激しく、時に穏やかにゆっくりと動く。
今日のコンサートは、チェロとヴァイオリンそれぞれの音色が、ピアノと重なり溶け合い、違う音をかもし出すハーモーニーに酔いしれた。
いつまでも続く拍手の中、私は出口に向かって一段一段階段を昇る。
重い扉を押して外へ出た時、元気になった私は再び日常に帰っていく。
-fin-
2015.06.19
『私の非日常の世界』をテーマに書いたエッセイです。