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舞い降りてきた天使

 私の机に一枚の写真が飾ってある。
 写真の3人は笑っているのに、私は見る度泣きそうになる。
 29年前の夏の日、障子を開け広げた縁側の部屋。今は亡き父が、3ヶ月の孫を見て笑い、その父を見ている笑顔の母。2人が60代の頃だ。無口で気むずかしい父が、白い歯を見せ、濃い眉毛が下がり目を細めている。

 父が孫を見ているのに、母は何故父を見ているのか不思議だったが、今はその理由がわかる。めったに笑顔を見せない父が、笑っているのが、母は嬉しかったのだ。
 私の結婚に『姑が評判の厳しい人』だと反対した母と、「思うようにすればいい」と言った父。私は婚家で自分の居場所を見つけることに精一杯で、両親の思いに心を寄せる余裕はなかった。婚家に招くことも出来ず、里帰りもままならなかった。いつも申し訳ないと思っていた。しかし、10年目に舞い降りてきた孫という名の天使が、両親を笑顔にしてくれた。反対した母の気持ちが、私も親になり娘を嫁がせた今は解る。そして、許してくれた父の思いも……。
『子が親を思う心にまさる親心』の意味が、写真の両親を見ると胸に染みてくる。
 娘が熱を出すと、病気の子を置いて仕事に行く私を慰めてくれた。

 親とはなんと有り難いものか……。
 私の娘が成長していく中で、両親が笑う事が増えた。歩いたといえば喜び、片言でバイバイと言えば、顔をくちゃくちゃにして笑った。天使は魔法の力を出さなくても、いるだけでいいのだ。
『泣いても一日、笑っても一日、同じ一日なら笑って過ごす』と母がよく言っていた。
 その頃は気にもとめていなかったが、60歳を過ぎ、人生後半を歩き始めた頃、本当にそうだと思うようになった。

 笑顔はさざ波のように周りの人に広がり、笑い声は心を元気にしてくれる。心が元気になれば体も軽くなる。すると、身近にある小さな幸せに気づくようになる。

 あの写真の3人がもし笑っていなかったら、アルバムの隅っこにおいやられているだろう。

 笑顔だから、こうして手にとるのかもしれない。

 もう、泣きそうになるのはお終い。
 さあ、今日も笑って過ごそう。

-fin-

2015.04.01

『笑顔』をテーマに書いたエッセイです。

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