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てくてくダイアリー

 私は、50歳で退職して12年になる。
 その間続けてきたことの一つに、ウオーキングとハイキングがある。ウオーキングは一日3回、夏は朝5時半、冬は6時半から、45分〜1時間、昼夜は30分〜45分歩く。
 家から離れた場所に行き、その周辺を歩く。 
 つれあいが退職してからの2年は、朝だけ一緒に歩いている。そして、月に2、3度遠出をしてハイキングにいく。
 退職してから、運動はジムで筋肉トレーニングをしているが、もっと手軽にできる運動はないかと考え、ウオーキングを始めたのだ。

 歩き始めた頃は、仕事の悩みや人間関係から解放され、ただ歩くだけで楽しかった。     
 そのうち、同じコースを歩いているので、顔みしりができてきた。60歳以上の人達だ。その人達と言葉を交わすようになった。挨拶は人とのかかわりの潤滑油だ。
「今日の空、真っ青ですね」
「もう、桜の蕾膨らんだよ」         
「あの角に珍しい花咲いてますよ」      
 こんなやりとりをする。          
 利害関係のない、名前も住所も知らない人達との会話が、まるで心に暖ったかい風が吹いように思えた。言葉の裏の真意を推し量る必要のない、さりげない会話。
 いつも会う人の姿を見ない日、「足の具合わるいのかな」とすれ違う人と話す。
 そして数日後、「息子さんとこへ行ってたんやて」と教えてくれる。そうか、良かった……。 
 そんな事が私に元気を与えてくれる。
 こんな事があった。大峯山のバス3台のツアーに参加した時の事。
 昼食時に前に座った人が、「どこかで会いましたね」と言った。私もそう思っていたが、二人とも思い出せなかった。
 一日の行程が終わる頃、突然思い出した。
『そうだ! 朝ウオーキングですれ違う人だ』 
 朝は互いに帽子を被っているし、起きたての顔で、今日のように装った互いの顔が解らなかったのだ。二人で大笑いをし、出会いの不思議さ、縁に驚いた。
 あくる日、いつものコースで堤防の向こうから歩いてくるその人は、大きく手を振っていた。 
 嬉しかった。『袖振りあうも他生の縁』を実感する時だ。                 
 私は気持ちが落ち込んだり、身体の調子が悪い日も歩くようにしている。      
 行き交う人との短い会話が楽しく、季節の移ろいを五感で感じるからだ。
 朝会う人と、昼や夜に会うのも楽しい事だ。 
 杖をつきゆっくり一歩一歩歩く人、痛い足をかばいながら歩く人……。 その姿に勇気をもらう。
 一日の始まりのウオーキングは、歩ける事に感謝し、今日を楽しく過ごそうという気持ちにさせる。ウオーキングは、身体だけではなく、心も柔軟にしてくれるものだと、気がついた。

-fin-

2013.12.11

『人生のスパイス』をテーマに書いたエッセイです。

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