長く続くこの道を
私は若い頃、『人生は太く短く生きる』のがいいと思っていた。しかし、50歳を過ぎた頃から、『細く長く……』と考えるようになった。
細く長く生きるとはいうが、はたして心と身体が、どんな状態なのか、想像しただけで恐ろしくなる。が、今はそれは横に置いておこう。
太く短く生きる、そんな生き方に憧れたのは、一人の歌人の影響だ。
私は20歳半ば頃より短歌(うた)を作っていた。一日10首、20首を詠むのも苦にならなかった。
それほど次から次へと、31文字に託したい思いが溢れてきた。
あの頃の私は、OLから保育士になったばかりで、専門大学を出た同僚との保育技量の差に悩んでいたし、女性職場特有の人間関係にも疲れていた。結婚生活は辛い事が多く、どこにも誰にもはきだせない思いを31文字にぶつけていたのだ。
激しい心の中の嵐を、短歌を詠むことで鎮めていた。
そんな時、中城(なかじょう)ふみ子という歌人を知った。
(1922~1954戦後の代表的な女性歌人の一人。結婚、離婚、病いくつかの恋など、32歳で亡くなるまで激しい心情を詠った。「乳房喪失」などの歌集がある)
失いし われの乳房に 似し丘あり
冬は枯れたる花が飾らむ
彼女は乳ガンに冒されながらも、ひたすら生と性を詠いあげた。
私は何故、そんな彼女に憧れたのだろう。
はき出せない思いを抱いていた自分を、重ねあわせていたのだろうか。
しかし、時の流れとともに私を取り巻く職場や、結婚生活も変化していった。
人との出会いや、様々な経験をするなかで、私の短歌も変わっていった。
苦しい、悲しいだけではなく、自然の美しさや、仕事を通して知る喜びや、暮らしの中で感じる幸せを詠むようになった。
そんな日々の暮らしを重ねていくなかで、平穏無事に過ごせる事や、生かされているありがたさを思うと、与えられた生命(いのち)を大切にしたいと考えるようになった。
太く短く生きるのではなく、長く続く道を、ゆゅくりと歩いていきたいと思う。
長く生きていればこそ、人との出会いがあり、そのかかわりのなかで心のふれあいがある。
長く生きていればこそ、時間に追われるだけではなく、ゆっくりと流れる時間を、楽しむことができるようになったのだ。
何より、文を綴る喜びを教えてくださった先生や、それを共有できる仲間のみなさんと出会うことができたではないか。
激しいだけと思っていた中城ふみ子に、こんな優しい短歌があるのを知ったのは、最近の事だ。
春のめだか 雛の足あと 山椒の実
それらの一つかわが子
-fin-
2013.02.18
『若い頃は○○と思っていた』をテーマに書いたエッセイです。