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もういいかあい、まあだだよう

  もうすぐはは姑の13回忌の法要だ。もうそんなに経ったのかと、時の流れの速さに驚く。
 姑は75歳の時、老人性うつと認知症になってから6年後、81歳で亡くなった。
 最晩年の3年間は、老人施設で過ごし、そこで生涯を終えた。
 つれあいと私は仕事をしていたし、認知症の姑との暮らしは今から振り返ると、懐かしい思い出だが、当時は毎日が必死だった。       
 徘徊、昼夜の逆転、暴言、被害妄想の姑と格闘の毎日。私達は睡眠時間を削られ、神経をすり減らしていた。
 そんな日々が3年過ぎた頃、つれあいが、老人施設への入所を切り出した。私は反対したが、「このままでは共倒れになる」のひと言で私も承諾した。
 役所への相談、施設探しと見学に走りまわり、やっとある施設に行くことが決まった。
 いわゆる『まだらぼけ』症状の姑が、嫌がるかと心配したが、あっさりと入所した。しかし、3ヶ月たつと、次の施設に移らなければならない規則だった。3ヶ月経ち、別の施設に移るとき、姑は激しく抵抗した。やっと慣れたのに、変わることは心身ともに負担だったのだろう。
 姑を叱ったりなだめたり、時には嘘をついて移動していた。そんなことを何度か繰り返すうち、次の所に行く時は、童謡を歌い、昔話をするようにした。幼い頃の話しをしながら、手をつなぎゆっくりと歩き、車に一緒に乗る。
「おばあちゃん、家の裏に柿の木あったな」
「昔は川がきれいやったから、川で洗濯したんやな、今は無理やろな」
「おばあちゃんのお父さんって、厳しかったん」

 姑は返事はしなかったが、穏やかな顔になり、時には涙を流した。兄弟の話をすると、声をだし笑うこともあった。
 すると、以前よりスムーズに移動できたのだ。
 姑も私達も、穏やかで優しい気持ちになれた。
 移動の車中は、暖かく柔らかい空気が一杯だった。
 姑は若い頃、船場で女中奉公をしていたせいか、裁縫、掃除等家事一切よくできた。いつも身ぎれいで、髪を綺麗に整えていた。そんな人が、髪もとかず、着替えもせず、顔も洗わなくなっていった。なんでもこなすしっかり者の人が……。
 人は老いる。どんな人生を送って来た人にも、老いと死は平等に訪れる。どんな老いと死が待っているのか、いつくるのかもわからない。その時まで、どう生きて行くのか……、と考えた。
 贅沢はほどほどに、出会う人達との交流を楽しみ、好奇心を持ち、日々感謝して暮らす。   
 小欲知足、ありがとうとお陰様。      
「これじゃ、まるでお釈迦様だわ」と一人で笑う。
 毎日を丁寧に暮らしていけばいい。その積み重ねの先にある、老いと死は『なるようにしかならない』
 だからこそ、今日を大切に楽しく暮らそう。
 これが、姑の介護生活から学んだことだ。

-fin-

2012.11.13

『介護か看護』をテーマに書いたエッセイです。

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