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私が卒業した事していない事

 手に取ったそれは、和紙の卒業証書だった。
 よくあるツルンとした手ざわりの紙でなく、繊維が残っている和紙に書かれた卒業証書だ。卒業時期、子供が自分で紙すきをしている様子をニュースで見た事がある。その紙が証書となる。和紙の手触りが、暖かい気持ちにさせ、思い出になるのだろう。


 人は、学校の卒業証書を貰ってから、卒業証書を手にする事があるのだろうか。そう思った時、私は今の自分にどんな卒業の証があるのだろうと考えた。結婚以来33年の妻業はまだ卒業していないが、いまやつれあいとの関係は、半分以上友人だ。
 母親はどうだろう。もう社会人になり自活している娘に、食事や身の回りの世話等の必要はない。子育てを終え母親業は卒業した。

 これからは、女同士人と人との付き合いだ。
 女性としての私はどうだろう。灰になるまで女は女、とも言う。となるとまだ卒業できない。では、卒業したのは何だろう。
 そうだ! 嫁だ、と思った。
 嫁卒業証書、はたして、どんな卒業証書になるだろう。

卒業証書

あなたはこの家に嫁いで以来、

長年にわたり舅、姑に仕えてきました。
そして、二人を無事あの世に旅立たせました。
よってここに、嫁を卒業した事を証します。

 こんなところだろうか。とても一枚の紙に書ききれるものではない。書ききれない思いを考えていた時、「あっ」と思った。
 これを誰から貰うのだろう。
 いまや友人となった連れ合い? 義兄弟?
 嫌だ。嫁卒業証書は、私から私に「いろいろあったね。もう終わったよ」と渡したい。
 だったらやはり、ツルツルの紙より越前和紙にしたいと思う。
 恨みや感謝、お詫び、そんな様々な思いを和紙はきっと、吸い取ってくれる様な気がするからだ。

 母、妻、娘、女……いろいろな私。そんな私の人生で、卒業した事、まだしていない事はなんだろう。また卒業したい事、反対にしたくない事もあるだろう。その証を人から貰う場合も、自分でする事もあるかもしれない。単に役割の卒業だけではない事もある。
 和紙の卒業証書を手にしたおかげで、色々な事を考える機会ができた。
 人はみな、卒業した事していない事を、心に抱きながら、日々の暮らしを重ねていくのだろうと思う。

-fin-

2010年

『和紙を見て、触ってイメージを広げる』をテーマに書いたエッセイです。

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