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ワイド、ワイド、ワールド

 私は、19歳から50歳まで保育士だった。
会社員から転職したのは、組織の一歯車ではなく、もっと充実した仕事がしたかったからだ。そういう転職動機だったから、一生懸命に仕事をした。              保育技術が人より劣っていた分、熱意はあったと、今振り返っても思う。        そういう熱心さは、ともすれば厳しさや押しつけになりがちだ。が、当時の私は気ずくはずもなく、保育士として当然の要求を保護者にしていると思っていた。
「朝食は子供にとって大切です、きちんと食べさせてください」
「連絡ノートに子供の様子を記入して下さい」
「絵本を寝る前に読んで下さい」
出来なければ怠慢で、だらしない親だと心の中で思っていた。

 そんな私が、保育士になって16年目に母親になった。クラスの子供でさえこんなに可愛いのに、我が子ならどれほどだろうと、想像はしていたが、まさしく宝を得たようだった。

 宝ではあったが、仕事をしながらの子育ては大変だった。毎日くたくたに疲れ、何時も寝不足だった。

 愛情と子育てのしんどさは、同じ天秤にかけられない。

 大切だとわかっているが、朝食は手抜きだ。連絡ノートには一行『お願いします』

 絵本を広げると、自分が寝てしまう。

 これが私の母としての実態だった。

 今までは保育士の視点からみていたが、働く母親からの見方をすると、『こうあるべきだ』は絵空事だとわかった。

 わかってはいるが、できないのだ。

 それからの私は、保護者への要求が少なくなった。
「出来る時でいいよ、お母さん」
「お母さん、無理したらあかんよ」
 それは、同じ働く母としての、自分への励ましでもあった。

 子育ては、もっとゆるやかに、柔軟に考えたらいいと思うようになった。

 大切な事は、出来ないことがあっても、いつでもどんな時でも、子どもの味方になれるのは親だけだ、その気持ちを持っていればいいのではないか。そのメッセージが子どもに届いたらいいと思う。いや届かなくてもいい。
 担任した子どもの卒園式の、保護者への挨拶で『成長していくなかで、我が子が理解出来なくなることがあるだろう。でもどんな時でも、子どもの側にいる母になってほしい』と言った。

 かって厳しい保育士だった自分は、胸にしまい込んだ。

-fin-

2014.11.18

『視点を変える』をテーマに書いたエッセイです。

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