巡礼の旅で明日に出会う
「駅を降りた典江は、前に止まっているバスを見つけた時、少し心が弾んだ。名前を告げ後方の席に座ると、フーと息を吐いた。
西国33カ所巡礼の旅、バスツワーに参加したのは、日帰り、一人でも、一回のみでもOKという、カタログを見たからだ。
「これならいけるかもしれない」と思った。
88歳の認知症の母を介護して5年。
65歳になる典江は、終わりの見えない日々に疲れていた。
8時 バス出発
30人定員で満席だった。夫婦づれ、中年女性のグループ、大学生らしき人達。それから、典江のような一人旅の人が何人かいた。
バスは、1番札所の熊野那智大社に向け走り出した。それぞれの席から笑い声や話し声が聞こえる。窓からは、住宅街を抜け、山や田畑が見えた。典江の目に景色は映ってはいたが、本当は見えていなかった。
典江の脳裏には、2日前ベッドから落ちた母の姿が、消しても消しても浮かんできた。
11時 バス停車。
「これからショッピングと食事をお楽しみください」とガイドが言った。典江は、この地方の特産の紀州梅やかまぼこの買い物に、全く興味がわかなかった。仕方なく、店を一周して、バスに戻った。すると、典江の席と通路をはさんだ窓ぎわの席に女性が座っていた。
彼女は降りなかったのだろうか。
何故か彼女も希望のない日々を送っているように思えた。典江は少し迷ったが、思い切って声を掛けた。
「もしよかったら、一緒に散策しましょう」
2日前、母がベッドから落ちた。おむつ交換を済ませ、汚れ物を洗濯していた時だ。
ドスンという音に驚いて母の部屋に入ると、ベッドの下に、身体を海老のようにまげた母がいた。母の悲鳴は聞こえなかった。典江は、母が落ちた事より、声さえ出さなかった、それとも出せなかった事に衝撃を受けた。
「一緒にいきましょう」と言うと、外を見ていた人は、大きな目で典江を見た。
そして、「そうですね、行きましょう」と笑った。えくぼの素敵な人だった。
6時30分 バス到着・解散
一緒に散策した女性と挨拶を交わし別れた。
家に帰れば、出口の見えない、希望もない毎日が待っている。
それでも、明日はやってくるのだ。典江は、巡礼の旅に行く前より、心がほんの少し軽くなったように感じた。母の姿は、私がいつか行く道なのだ。
明日は、明るい日と書く。
-fin-
2016.12
「『〜しましょう』のシーンを入れる」をテーマに書いたフィクションです。