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この度めでたく翁と媼になりました

  あれは、決定的にその事実を自覚した、出来事だった。

「腰が痛いから、病院にいってくるわ」
「気をつけてな」とつれあいに見送られ家を出た私は、近所にある医院の前に立っていた。
 いつもは、8時5分前に医院のシャッターが開くのに、もう8時10分を過ぎていた。
『今日は遅いな』
「看護師さん、遅れてるんやわ」と独り言を言った。
 医院の前は小学生の通学路だ。
『珍しく子供達が通らないな』と、てすりにもたれ考えていた。
 次の患者さん、来ないなと思いながら、あたりをキョロキョロと見ていた。
 この時点で、今までの私なら気がついていた。時計を見ると、来てから45分経過していた。医院に電話してもらおうと、つれあいの携帯にかけた。
「え、そうかあ、土曜日なのになあ。電話するわ」と言った。そして、すぐ返事がきた。
「あのな、今日は祝日で休みやねんて」
 私は「あっ」と大きな声をだしてしまった。
 祝日だったのか……。
そりゃ、小学生も通らないし、患者も来ないはずだ。そうだったのか。
 何だか気がぬけて、ばからしいやら、おかしいやらで笑ってしまった。
 今までも、日常生活の中で忘れたり、うっかりすることはあった。
 しかし、夫婦どちらかが気がついていた。
「トイレの電気消し忘れてるよ」
「あ、ごめん消しといて」
「今日は老人会の日だよ」
「そうだったな」と、こんな具合に68歳と65歳の夫婦は、互いにフォローしてきた。
 しかしだ、今日は気づくだろう、というシグナルが何度もあったのに、私はピーンとこなかったのだ。
 つれあいだって、私からの電話を聞いても、気がついていなかった。となると、私達夫婦は同じレベル、どっちもどっち、ということになる。たとえて言うと、『破れ鍋に綴じ蓋』
 こんな二人が、年を重ね老いていく。
 41年前、結納品にあった置物の翁と媼の人形、今や私達はそうなった。
 お前100まで、わしゃ99までという。
「おっ、こわ」と私は呟いた。
 私は、45分も強風の中立っていたせいか、風邪をひき2日後、腰痛とともに診察を受けた。家に帰ると、箱に入っていた翁と媼の人形を出した。タンスの上で鎮座し、私達夫婦を見ている。

-fin-

2017.03

『たとえて言うなら』このフレーズを使う、をテーマに書いたエッセイです。

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