こ・と・だ・ま
明日、私はFさんと桜見物に行く。
65歳の私と、68歳のFさんは、通っているジムの入り口で、出会って半年になる。
4年通っているジムで、挨拶をする人はいるが、互いの事を話すのは彼女だけだ。
二言三言話しただけで、Fさんと波長が合うと感じた。それは、地元ではないこのジムに来ている理由が、同じだったのだ。
『知り合いがいると煩わしい、一人でいたい』
「一緒、一緒」と言いながら、私は何故か嬉しかった。私と同じ気持ちの人がいる、わかり合える人と出会った気がした。
それから数週間後、30分程お喋りした。
何が嫌で、どんな事を大切にしているか等、今思えば、立ち話にしては深い内容だった。
特に、(一度の人生を、大切にして暮らしていきたい)という話が、互いの心に残ったと思う。友人関係で悩んでいる事など、共通する事が多く、二人は、出会うべきして会った人だと思った。友情を育てたいと思った。
これが、私の性格のいけない所だ、すぐそう思い込み、真剣になる。
私達はロビーで楽しくお喋りして、笑顔で別れた。
それから数ヶ月、全く彼女と会わなくなった。私は、『どうしたのだろう、早急に近づきすぎたのか、何か気にさわったのだろうか』と、考えながら(また悪い癖がでた)のだと気が重かった。
私は、何故すぐに関係を深めようとするのだろう。人のかかわりは、時間をかけ、互いを知り、関係を築いていくものなのに……。
ジムで運動していても、心が重く楽しくなかった。
そんなある日、出口で彼女と会ったのだ。
「会いたかったー」と言った。
私は、この一言で、つい先程まで沈んでいた気持ちが、ぱーと晴れたのだ。
「久しぶり」ではなく「会いたかった」の言葉が嬉しかった。
何ヶ月も暗く沈んでいた気持ちが、まるで、たまっていた埃を、箒でひと掃きしたように、すっきりとして明るくなった。
彼女は、事情があり、時間を変えていた事、私を捜していた事を話した。私とほんの5、6分の違いですれ違っていたのだ。
魂が宿る、言葉の不思議さと同時に、怖さを改めて感じた。
一言で、人の心はどうにでも変わる。
「会いたかった」の一言で、こんなに心が晴れるのだから。
そして私達は、明日桜見物に行く。
-fin-
2017.05
『心が晴れた事』をテーマに書いたエッセイです。