リボンをかけた、こ・と・の・は
隣家の2歳の子供が泣いている。いつもと違う泣き方だ。お兄ちゃんとけんか? ママに叱られた? その泣き声を聞きながら、68歳と65歳になる、2人暮らしの私達夫婦は、「可愛いね」と言った。
そうなのだ。若い頃の私が、あまり言わなかったのに、言うようになった言葉のひとつに、『可愛い』がある。
子供が、転んで泣きながら立ち上がった、草むらの中に隠れるように、小さな花が咲いている……。そんな時、可愛いと言うのだ。
それから、最近口癖のように言う言葉が『もったいない』だ。
40、50代にも言っていたが、60歳になってからのそれは、言う時が違う。
かっては、目にした事実や事柄を言っていた。例えば、物を捨てたり無駄にしたり、壊した時などだ。
しかし今は、時間や空間、心のあり様、さらに、経験する機会を逃した時等、目に見えない物や、事に対して言うようになってきたのだ。
毎年、お盆は親戚回りをして墓参りをする。
その日も、仏壇の前で手を合わせ、線香を見ていた。その時ふいに、線香の燃焼する30分という時間に、何ができるのだろうと思った。あれもこれもと思い浮かんだ。
しかし、反対に出来ないことは何だろう、と考え始めた。私の来して来た人生を振り返り、その中の30分に、出来た事、無駄にした事、やり直したい事もたくさんある。
私のこれからの人生を思うと「ああ、30分がもったいない」と心から思った。
そんな事を考えている間に、盆の法要が終わった。
年を重ねていくと、今までとは違う視点で見たり感じたりするようになってきた。
表面だけではなく、その裏側の事情を考えたり、そこに至るまでの過程に思いを馳せ、仕方がなかったんだなあ、と思う事もある。
若い頃は、速さや見栄え、効率のよさを考え、行動していた。
六十代の今は、ゆっくりと余裕を持ち、できなくてもいいわ、と思うのだ。
それを、気力や体力の衰えと、かたづけてしまいたくない。
今だからこそ、気づく事、見える事を充分に感じながら、生きていきたい。そうしなければ、それこそ『もったいない』と思う。
そんなふうに暮らしていくと、幸せを感じる感度が、上がるかもしれない。
-fin-
2017.09
『「勿体ない」と思うこと』をテーマに書いたエッセイです。