キズナマーク
「望」と小さな声だったが、確かにその人は言った。60歳位の男の人が、少し前かがみになりながら、ゆっくりと私に近づいてきた。
そして今度は、はっきりと「望、待ってたよ」と言いながら恥ずかしそうに笑った。
私は一瞬『景子じゃないよ』と思ったが、その人の涙を見た時、わざと間違えたんだと解った。父との5年振りの再会だった。
メールが届いたのは、一週間前だ。
『景子、父さんだ。12日退院するから来て欲しい』と病院名がメモされていた。発信元のアドレスも景子という名前も知らなかった。
望は、間違いメールだろうと削除しようとしたが、絵文字を見て「あっ」と言った。
それは晴れ晴れマークだったのだ。
15年前に家をでて行った父とのメールに使う合言葉のマークだった。
二十歳になった日に届いたメールを最後に、父と連絡が取れなくなって5年過ぎていた。
望は、削除するか迷ったが、どうしても合言葉マークが気になり病院にいこうと決めた。
たとえ人違いであっても、久し振りにマークを見て、心が温かくなるのを感じたからだ。
とうとう望にメールを送った。別れてから一日も忘れた事のない娘と、父親失格の俺を繋いでくれる合言葉マークにかすかな希望をこめた。会いにきてくれるかもしれない……。
その娘が今、目の前にいる。
「望、会いたかった」
「父さん……」言いたい事は胸に溢れているのに言葉にならなかった。
「すまなかった、連絡する勇気がなかった」
「私、どんなに心配したか」
父はポツリポツリと話し始めた。
会いたかったが、父と名乗ったら来てくれないと思った事、だから間違いメールを装ったんだと言った。低い声は、変わっていなかった。あの晴れ晴れマークの絵文字を見たら、会いに来てくれるかもしれないと、何度も声を詰まらせながら話した。
「会いにきてくれてありがとう」
望は黒革の小さなボストンバックを両手に持ち、父と病院の玄関を出た。
外は二人を繋いだ合言葉のように、真っ青な空が広がる、よく晴れた日だった。
これから父との関係が、どうなっていくのか望には解らなかったが、今日は父と一緒に歩きたかった。
青空を見た時、父を許そうと思った。ほんとうは、間違いメールの晴れ晴れマークを見た日、決めていたことだった。
-fin-
2015.09.17
『間違っておくってしまった、受け取ってしまった』をテーマに書いたフィクションです。